彼女は、その門の前に立っていた。
奥に広がるのは広大な敷地、その中に佇む建物。周りのものと比較すると小さく見えるが、それでも十分すぎるほど大きい。門から十数メートル先にあるが、視野に入らない。
そんな光景を見渡していると、それに気づいたのか、中から一人の女性が姿を見せた。
「……貴女が今日からここに配属される天月さんですね。お待ちしておりました」
軽く頭を下げた後、その女性は門を開ける。
「ようこそいらっしゃいました。私は航空母艦、加賀です」
建物の中には幾つかの部屋があった。一つの長い廊下に横並びになっており、旅館や寮を思い起こさせる。加賀は、その一番奥の部屋に案内した。そこは所謂広間なのか、時々見えた他の部屋よりもずっと広い。その部屋に、何十人かが待機していた。
「本来なら応接間での説明になりますが、何せ急なものですから、早速他の子達にも挨拶してもらおうと思いまして」と、単調に加賀は言う。
「それでは天月さん、簡単にで良いので自己紹介を」
そう言われ、天月は小さく咳払いをして、前を向いた。
「初めまして、天月美憂と申します。これから暫くの間、宜しくお願い致しますね」
自己紹介をしながら、周りを見渡す。駆逐艦から加賀を含む空母、艤装の目立つ戦艦も居る。此処に来る前に一通りは資料に目を通した彼女だったが、武器を背負った目の前の数十人に少し圧倒されていた。
「では、次に大まかな説明を致します」流れる様に加賀は進めていく。広間を出て向かった先は個室だった。狭くも広くもない、至って普通の部屋だ。
「私の部屋ですので、どうぞ座ってください」促されるまま、天月は椅子に座る。椅子は2つ。机を挟んだ向かいに加賀も座った。
机の上には幾つかの資料が置かれている。それは、天月が事前に渡された資料と同じものだった。表紙には『艦娘再育成機関の発足とそれに伴う人員の抜擢について』と書かれている。
「既に読まれているとは思いますが、この場所は通常の鎮守府とは異なります。表題にも示す通り、此処は艦娘再育成機関です。つまり、他の鎮守府の母港に収まり切らなくなった、悪く言えば不要になった艦を預かり、再度出撃出来るように育成していく、というのが貴女の仕事です」
淡々とした説明に、天月は資料を眺めながら付いていく。
「といっても、先ほど言った通り此処は鎮守府とは違います。幾つかの制限と幾つかの自由、そして、幾つかの規則が存在します。それを守って頂けるものと、私は期待しています」
規則のページを開こうとした天月が手を止め、加賀を見る。
「どうして私なんですか? あ、嫌という訳ではなく、基本的にこういった仕事は男の人が就くものだと思っていたので……。それに、初対面である私を期待する、とは?」
2つの質問に対して、加賀は表情を変えずに答えていく。
「貴女を抜擢したのには幾つか理由がありますが、女性を選んだのは男性よりも早く他の艦と馴染んでくれると予想したからです。そこから様々な要素や情報によって絞り込んだ結果になります。期待は……私個人のものです。余り気圧されないよう」
少し緩みかけた堅い顔を資料に向け、説明を再開していく。
「気を取り直して。まず、制限というのは遠征、演習、建造の禁止。あくまで艦娘の育成が中心ですので、資材は正規鎮守府の方に渡します。その代わり、必要な資材については上から支給されるので問題ありません。演習は育成には適しますが、こちらの艦が元々所属していた鎮守府の艦隊と会戦した場合の事を考えた結果です。ご了承ください。建造は機関の母港が飽和しない為の措置です」
内部事情を殆ど知らない天月には納得出来るような出来ないような説明だったが、色々あるんだろうと思うことにした。その辺りはまた時間が出来れば知ればいい。
「次に自由の点ですが、これは今言いました資材に加え、装備も揃えております。また、機関の敷地内であれば外出や遊行も自由です。時々艦娘を連れて遊んでみてください。当然ですが、出撃命令も自由です」
敷地内と言っても、かなりの広さがあるように見えた。地図は同封されていなかったが、それも親睦を深める為だと思い込む。
「最後に規則ですが、出撃に関する重要なものですので遵守をお願いします。1つ目は、大破撤退の徹底。2つ目は疲労時出撃の禁止。これは艦だけでなく貴女自身も含みます。そして最後に、応急修理要員、及び女神の装備禁止。この3つです」
未経験である天月は何が何だか分かっていなかったが、それを質問しても同じなのでとりあえず頭にそのまま叩き込んだ。ついでに、ある程度経験を積んだ時に資料を見直す事も決心した。
加賀は、そんな彼女を察する。
「……その辺りは追って詳しく言っていきます。それと、貴女には直接関係無いのですが、此処では提督や司令官といった呼称は使いません。全員、貴女を苗字で呼ぶ事にしています。その点だけは悪しからず」
一通りの説明を終えると、加賀は席を立つ。天月は慌てて資料を仕舞い、同じく立ち上がった。
「貴女の部屋に案内します」そう言って扉を開ける加賀に話しかける。
「あの……どうか宜しくお願いしますね、加賀さん」
それから少し間を開けて。
「……はい、こちらこそ宜しくお願いします」
前に立つ加賀の表情は見えなかったが、声は少し明るかった、ような気がした。